優しさと自己犠牲は違う

こんばんは!

以前オフるためにいったシャーレ水が浜。

滋賀にもたくさん癒しのスポットがありますね。


私の周りでは赤松自身がヨガ哲学である不殺生の修行中であることをご存じの方が多く、どんな小さな虫でも安易に殺さないを実践中なので自然と身近な人が意識をするようになってくるというちょっと面白い現象にみまわれております。笑



とある人が消しゴムカスのような虫を手で無意識につぶした瞬間

「あ…」

って言って私の方をみるという…笑


人の顔色気にするもんちゃうで!!笑

なんて言いつつも、こうやって不殺生いう人がいると気になりますよね、すみません。笑



ところで不殺生といえば皆さんが思い浮かぶのはやはりヴィーガン。

動物性のものを食べない、というイメージはここから来る模様。

ヨガのルーツ、ヒンドゥー教では牛を神格化しているので牛肉禁止とかそういう宗教的理由もあります。


が、ヨガの不殺生はもっと深いものです。

それは

【なんのためにヨガをするのか?】

これを考えると納得のいく内容になります。

そもそも日本にヨガがわたってきたのはアメリカでビジネスとしてマーケティングされてから。

なので、日本では本当のヨガというよりも欧米化されたフィットネススタイルのヨガが流行しております。

それは悪いことではないですよね!昔は車もなく運動というものは日常の中にあったもので便利になったがゆえに、体の機能も少しずつ衰えてきていますがそれを防止するために新しく運動・フィットネスという分野が誕生しました。



ヨガの概念が時代に応じて変わってはきていますが、

2021年に入りまたこのヨガの本質というものが注目されはじめています。

瞑想であったりマインドフルネスであったり自分自身と向き合うこと…そのルーツは全てヨガから始まっています。


仕事、プライベートだけではなく画面の中でさえも他人の情報が入ってくるし

特に日本人はどちらかというと「空気を読む」文化なので本音で話してはいけない、自分の意見を言ってはいけない、みんなと同じでなくてはいけない、良い人じゃないといけないなんていう意識が根底にあり

どうしても

「他人からみた自分」というものを大切にしがちです。だから『映える』という言葉があります。

こうやって空気を読むことは、集合意識の中で生きていく上では必要なことです。そうやって周りの人にとって良い環境を整えて周りが生きやすい環境を作っていけますが、それと反対に死んでいくものがあります。


それが

【自分自身】です。


本当はこうしたい、こう思っている、心では怒ったり泣いたりしているけど表面では笑ってる。

そう思う自分はなんて悪いやつなんだ、性格が悪いんだ!

同じってことにしないと嫌われるかな?

こういったらやめろって言われそうだし、自分さえ我慢すれば問題ない。


そうやって自分自身の本当の気持ちを押し殺していきます。これを繰り返し行っていくと、自分が本当はどうしたいかもわからなくなるし

目標とか夢とか幸せって何??ってなります。


けど皆幸せを求めて生きていくのですが、じゃぁどこに求めるのか?というと【娯楽】や【食事】なのです。

それらは私たちにひと時に幸せを与えてくれます。同時にこの幸せは長くは続かない悲しさも与えます。

今でもこの幸せをたくさんの方が求めていますが、ここのところ少しずつ『本当の幸せ』について考える人が増えてきました。


私たちはいろんな社会集団の中で生きています。

けれども、その社会集団を気持ちよくさせるために生きているわけではありません。

そこに集まるもの同士が個人個人の特徴を尊重しながら互いに共存していく社会が本当に皆が幸せになれるかたち、だと私は思います。


だれが自分を犠牲にして生まれる幸せは本当の幸せといえるのでしょうか?



近年、ジェンダーや格差、不平等をなくすという世界的活動が行われていますが

人々の心が変わらない限り物質変化しても根底は何も変わらず誰かが犠牲になる社会は今後も続いていくでしょう。



ヨガの不殺生は、ヨガのポーズをとるよりも難しい。

健康でいるために心が生きなきゃ体はすぐに病んでいきます。皆さんも一緒に不殺生、やってみませんか??


たくさんの方が自分らしい道を歩まれますように。

SLOW LIFEで日本を元気に!

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