こんにちは!
「目覚めてはいけない日本人」
この今の情勢の中でキーワードになってきている言葉が『目覚め』。
世界には多数の民族が存在しておりますが、なぜ日本人だけがこんなにもプロパガンダに左右されてしまうのか?
なぜいろんな分野にわたり本質を見抜けないのか?
ここが気になり、調べていたところ思わぬ落とし穴に遭遇し現在とても危機的状況であることにたどり着きました。
少しずつパートにわけて書き進めます。
【社交辞令と思いやり】
そもそも日本はもともと神道といい、古事記や日本書紀のような自然のものと擬人化し神とする民族でした。
そもそもなぜ自然のものを「擬人化」する必要があったのか?という疑問が起こりますが、それは
人間=神という図を認めるため
でした。なので、天皇とは神の子孫であるという皇道につながり私たちの祖先は天皇を神とし大切に皇位継承というかたちでずっと同じ家系が継いできました。
過去・今・未来のうち、「今」というものに価値をおき
「生きること楽しもうぜ!」
そして
「死は汚れ」
であり、
「人と人と同士の結びつきや共同体を重視していた」
ものが神道です。なので、古来から日本人は集団で生活をしていましたし、お祭り(お祀り)を大切にしてきましたが、仏教や他の宗教のような「経典」というものはありませんでした。
故に、仏教伝来前の日本人は
現世中心的であり楽天主義
であったことがわかります。
一方途中で入ってきた仏教。
538年百済から伝来してきたものであり、もとはインド、そしてシナから徐々に日本へ伝来してきたものです。
仏教といえば釈迦。
教えでは、
奥深い人間の真実の姿というものと(普遍的真理)
現世超越的な思考(死んだあと、極楽浄土に生まれ涅槃を得ることができる)
というものです。
涅槃とは、煩悩を捨て解脱し悟りを開くことです。
厭世観と現世超越的
である仏教。
厭世観とは、人生や社会は善よりも悪が多く不幸に満ちているとする態度のこと。
こうみただけでも、仏教と神道では大切にしていることが真逆なのにどうして日本に浸透したのか?ここがとても大切なのです。
日本に仏教が伝来して以来、いろんな人がいろんな宗派を広めました。
仏教伝来後の聖徳太子をはじめ歴代天皇は「法華経」を根本経典としていることも和歌から読み取ることもできますが、聖徳太子の
「和を以て貴しとなす」
という言葉にその当時の日本人の特性が現れていました。
ここでヨガがでてきます!笑
Yogas citta vrtti nirodhah.
心の作用を止滅することが、ヨーガである。
要するに人には「~したい」「~だったらいいのに」てたくさんの欲があり、欲に基づいて現実が変わってきます。「レクサスRX450hLに乗りたい」と思えば自然と街の中レクサスRX450hLの車ばかりに目がいく。しかし現実にはなかなか手に入らなくて苦しむのは自分なんです。このような欲求はエゴ(自我)といい、物で収まればよいですが
時には人に欲求することがあります。
「(自分は〇〇な人が好きだから)あなたもこうなりなさいよ!」
「私だってこうしてるんだからあなたもこうしなさいよ!」
こういったエゴは、誰しもがもっていますね…
私は「こうしなさいよ」よりも違うなら離れていくタイプですが、
それもまたエゴで本来はよろしくない行為💦
聖徳太子は、このエゴを捨て「皆が皆をそれぞれ受け入れて協力していこうね」っていう個性を大切にすることを17条憲法に書き記しました。
受け入れるには
寛容さ
慈悲
が必要です。
仏教ではこれら2つも大切な要素でしたが、日本仏教は特にこの2つを強調したのです。
だからこそ、海外では当たり前の「奴隷制」や「残酷な刑罰」というものもありませんでしたし「仏教がいろんな宗派に発展していってもOK」だったわけです。
広まってはいったけれども、なかなか庶民の心から神道は抜けず根強い人気で困った僧侶たちは
神に菩薩として名前を授ける
ことにしました。
そして元々神というものは人間と同じように生物であるとされていたので仏教側からしたら解脱していないんですよね。
だから菩薩号をつけ、悟りに向かう人として神の地位を昇格させた
ことで神仏習合が成されました。
まぁなんとも上から。ちなみに天照大神は「大日如来」、スサノヲノミコトは「牛頭大王」でした。
要するに、
仏教は日本人によって都合の良いように教えすらも変えられた
のです。
なので、現世超越的な仏教ではなく
「現世中心楽観主義的な人たちが都合よく1つにまとまるための思想」
が出来上がりました。
真理よりも大切なこと。
それが「今」と「変化にのること」「まとまること」。
これがのちの
・民族主義(日本人として他国から独立すべきという思想)
という思想につながります。
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